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2019-01

いよいよ 内宮 参詣に

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伊勢神宮の内宮にはとくに歌の風流人たちがいて、私の
ことを聞きつけ、

「いま、このような人が外宮に参籠しているということだよ」
「その人は、いつ内宮の参拝に来るのだろうか」

と噂しているということです。


そのように聞けば、私も心が落ち着かなくて、またいつまで
もここにこうしてはいられないので、内宮へ参詣することに
いたしました。



岡田という所に宿をとったところ、その隣に由緒ある女房の
住みかがありました。

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i伊勢の神官ら との交流

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歌は四手に書いて、前にあった南天の木の枝を折り、それに
結んで届けたのでした。

すると、観音堂の尼は返歌などはしないで、私に宿を貸してく
れました。 それから私は観音堂の尼の知人となったのです。



お籠もりをした七日も過ぎたので、内宮へ詣でようとしますと、
初めに案内してくれた常良が、

今ぞ思ふ 道行く人は 馴れぬるも くやしかりける 和歌の浦波
(旅人であるあなたと、和歌のご縁で親しくなりましたのも、今
となってはこの別れの名残惜しさゆえに悔やまれることです。)


私からの返歌は、

何か思ふ 道行く人に あらずとも とまり果つべき 世の習ひかは
(そうお思いになることはありませんよ。旅人だけではなくても、
誰もがいつまでもとどまっていられるこの世でしょうか、無常な
世では誰もが過ぎ去ってゆくものです。)

というものでした。

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尼 に拒否されて


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一日中念誦などをし、夕暮れ頃になって法楽舎の近くにある
観音堂に行きますと、ここでは尼が修行をしていました。


ここならばと思って宿を借りたい旨申しますと、「だめです」と
固く拒んで私を追い出したのです。


情けなく思って、

世をいとふ 同じ袂(たもと)の 墨染めを いかなる色と 思ひ捨つらん
(俗世間を捨てて同じ墨染めの法衣を着るあなたと同じ出家者の
 私を、どのような者 と思って、あなたは見捨てるのでしょうか。)

と伝えました。


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伊勢の神宮たちと歌の交流


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こちらでは外宮近くに借りた家に滞在して、生死の一大事をも
祈願申そうと思い、七日間籠もることにいたしました。


そこへ、伊勢の神官たちがめいめいに歌を詠んでよこしたので
した。

連歌をつぎつぎに行い明かし暮らすのもまた風情ある心地がい
たしたものです。


宮の内では、普通の社(やしろ)などのように経を読むことはなくて、
法楽舎(ほうらくしゃ)という宮の内から四五丁離れた所で、終日
念仏誦経などすることになっております。

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神官ら と 歌の交遊


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そこでは、いろいろな情けも忘れがたく思われまして、

おしなべて 塵(ちり)にまじはる 末とてや
            苔(こけ)の袂(たもと)に 情けかくらむ


神にお仕えする方々として、俗人に広く交わっておられ
 るので、その末端に連なる わたしのような苔の袂を身
 にまとう尼にも情けを掛けてくださったのでしょうか




これを木綿でつくった四手(しで)の切れ端に書いて、榊(さか
き)の枝に付けて贈ったところ、


七郎大夫常良(つねよし)殿より、

影やどす 山田の杉の末葉さへ 人をもわかぬ 誓ひとを知れ

月の光が宿る山田の原の杉、その末葉までも、人を区別な
 く救うとされる豊受神 <とようけがみ>のお誓いであると、
 わかってほしいものです


との返歌が届きました。

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外宮からの帰り、小さな家を借りる


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千枝(ちえだ)の杉の下、御池の側まで参ったところで、神官が
おごそかにお祓えを行っていました。

幣を捧げて出ては来ましたが、このようなお祓いで私の心の中
の濁り深さは果たして清くなるのかしらと思ってしまうのも情け
ないことでございました。



外宮からの帰りに、そのあたりの近いところで小さな家を借りて
泊まることにしました。



ところで、
「親切に案内までしていただいた方はどなたでしょう」
と家の主に聞きましたところ、

「あれは三の禰宜 度会行忠(わたらいゆきただ)という者です。
この人は館の主です。道案内したのは現在一の禰宜の二男
である七郎大夫常良という者です」

と話してくれました。

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伊勢神宮 神官との交流


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館あたりにたたずんでおりますと、神官と思われる男性が
二三人出てきて
「どちらからいらしたのですか」
と尋ねました。

「都のほうから結縁に参りました」
と答えますと、

「普通は、そのような出家した人のお姿ではご遠慮願うところ
なのですが、 お疲れのご様子ですし、神様もお許しになるで
しょう」
と言って、私を神官の内に入れて いろいろにもてなしてくれました。

「さあ、ご案内申し上げましょう。宮の内には入ることはできませ
んので外側から」
などと言います。

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<伊勢神宮に参詣>


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伊勢の外宮では神館(かんだち)という所に第一、第二の
禰宜(ねぎ)をはじめ、神官たちが詰めています。


このお宮は、私のような出家者の参詣ははばかられることと
聞いておりますので、どこでどのように参詣したらよいかとも
分からないままに尋ねてみますと、

「二の鳥居、御庭所(みにわどころ)というあたりまで行くのは
差し支えないでしょう」

ということでした。



神域は、まことに神々しい感じであります。

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熱田 から 伊勢外宮参詣


   都から、再び西への旅立ち ← はじめから読む。

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このような火事騒ぎの際なので、写経供養を行うこともいよいよ
折りが悪いように思われます。

そこで、ここから津島で木曽川を渡るという「津島の渡り」を経験
して、伊勢神宮に参詣することにいたしました。



四月の初めごろ伊勢神宮に着きました。この季節なので何という
こともないのですが、

青々と澄み渡っているようすは清々しく、木々の梢の趣も変わって
見えて趣深く感じられました。


まず外宮にお参りすると、ここらあたりの「山田の原の杉の群立ち」
は、時鳥の初音を待つ拠り所として、「ここを、時鳥を待つ場所とし
よう」と語りかけたいようなたたずまいです。

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熱田社の縁起  - <草薙の剣>2

   都から、再び西への旅立ち ← はじめから読む。

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尊(みこと)が、駿河の国の御狩野(みかりの)で野に火を放たれると
いう難に遭われた時に、お持ちになっておられた錦の袋から剣が
抜け出て、尊の辺りの草を切り捨てた。

その折りに、尊は錦の袋の中にあった火打ち石で火を打ち出され、

炎が敵の方に覆い被さって敵の目をくらませ、敵はここで滅んでし
まった。

それ故、この野を焼津野ともいい、この剣を草薙の剣と申すのである。




こういう御縁起が書かれた文が焼け残っているということです。ちょっと
お聞きしたことでありましたが、私が前に見た夢の言葉が思い合わされ
まして、不思議にも尊くも思われたことです。

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プロフィール

雅忠女

Author:雅忠女
正嘉2年(1258)生まれ。父、村上源氏・久我雅忠〔中院大納言・正二位〕 母、四条大納言隆親の娘。
二歳で母と死別、四歳より後深草天皇の宮廷で育つ。十四歳から、後深草院に上臈女房として出仕、併せて院の寵愛を受けることとなる。三十二歳の時、出家のうえ諸国行脚の旅に出る(先人西行に倣った旅と跋文に記す)。

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