2017-08

八橋 -跡だにもなし-

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そうして、三河の国、「八橋」という所に着きました。

八橋といえば、『伊勢物語』にあるような蜘蛛手に流れる川があるかと見回し
てみたところ、水の流れる川はありません。


橋も見えないのは、まるで友に逢えないような寂しい心地がして、

 われはなほ くもでに物を 思へども
                   その八橋は 跡だにもなし


私はやはりあちらこちらへと流れる川のように、あれこれ物を思い乱れている
 けれど、物語に語られたその八橋は、今跡形もないことだ



   とは、詠んだのですけれど。


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姉の遊女 へ

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 遊女がこのように歌を詠みかけるとは、まことに意外でありましたけれど、
風情ある心地がして、私の方から姉の遊女へは、
 
 富士のねは 恋をするがの 山なれば 思ひありとぞ 煙立つらん
 (富士の峰はその名も恋を駿河の山なので、もの思いの火によって煙が
  立つのでしょう。わたしが出家したのも、恋のもの思いのためですよ

 
 と、返したのでした。


 馴染んだ名残は、この遊女宿さえも見捨てがたい気がしながら、そうもし
ていられないので、またそこを出立したのでした。



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      地図1



 赤坂 の 遊女

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 宿の主のもとに若い遊女の姉妹がいました。琴や琵琶などを弾いて、たいそう
風情あるようすです。

ふたりを見ていると、昔のことが思い出される心地がして、私は遊女に酒など飲
ませて曲を所望したのです。


すると、二人の遊女のうち姉と思われるほうがたいそう物思いに沈んでいる様で
す。琵琶を弾く撥でまぎらわしてはいても、ともすれば涙をこぼしがちであり、つ
らい思いをしているようす。それがまるで私と同じようだと思われて、目にとまった
のでした。
   


 私が墨染めの衣をまとう出家姿であるにもかかわらず涙がちであるのを不審に
思ったのでしょう、この姉の遊女の方が杯を据えた小折敷に歌を書いて私の方へ
よこしました。その歌は、

 思ひ立つ 心は何の いろぞとも 富士の煙の 末ぞゆかしき
(あなたが出家を思い立たれたお心はどのようであったのかお伺いしたいもので
 す。 空に立ち昇る富士の煙の、その先が知りたいように)


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 「鏡の宿」 から 「美濃の国 赤坂の宿」 へ

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やがて 「鏡の宿」 という所に着きました。鏡の宿は、すでに夕暮れの時分に
なっていたので、遊び女たちが男との一夜の契りを求めて歩いている姿を目
にしました。

その有様につらい世の習いなど様々思われて、ひどく悲しい思いをしたので
した。

明けゆく鐘の音に促されるように、そこを出立するのもまたしみじみともの悲
しくて、

  立ちよりて みるとも知らじ 鏡山 心のうちに 残るおもかげ
 (鏡山は知りはしないでしょう。立ち寄って心の内に残っている人の面影を
 私が映して見ているなどとは)
 
と詠んだのでした。



 次第に旅の日数も過ぎていきます。 やがて美濃の国「赤坂の宿」という所
に着きました。

慣れない旅の日数もかさなれば、やはり辛くもあり苦しくもなってきたので、
今日はここに宿をとることにしました。


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 蝉丸(せみまる)神社

    ガイド案内


京阪電車「大谷」駅で下車。 改札を出ると直ぐT字、左右に走る道路に出る。

その道を右折。  間もなく左手に神社の階段がみえてきます。

  蝉丸神社入り口

ここが、蝉丸神社への入り口。

      蝉丸神社の由緒


以前(10年ほど前)にはなかった、新たな由緒書きがある。 ここに次のよう
に書かれていました。

  当社は天慶九年(946年) 蝉丸を主神として祠られております
  蝉丸は盲目の琵琶法師とよばれ音曲芸道の祖神として平安末
  期の芸能に携わる人々に崇敬され当宮の免許により復興したも
  のです。
   その後万治三年(1660年)現在の社が建立され 街道の守護
  神 猿田彦命 と 豊玉姫命を合祀してお祠りしてあります


         これやこのゆくもかへるも
            わかれてはしるも
          しらぬもあふさか乃
                 せき       蝉丸



   神社階段

階段を上がってみましょう。


   社殿へ

階段の上まで行くと、右手に 社殿 がみえてきました。

   社


     当社の住所は、滋賀県大津市大谷町 23-11

同じく滋賀県大津市には 関蝉丸神社 上社、下社があり、当蝉丸神社はその
分社とされ、併せて蝉丸神社と総称される場合もあるということだ。


「百人一首」
10  これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関
                       蝉 丸 [『後撰集』雑一(一〇八九)]
これがあの、これから旅立つ人も帰る人も、知っている人も知らない人も、
 別れてはまた逢うという、逢坂の関
おうさかのせきなのですよ。


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プロフィール

雅忠女

Author:雅忠女
正嘉2年(1258)生まれ。父、村上源氏・久我雅忠〔中院大納言・正二位〕 母、四条大納言隆親の娘。
二歳で母と死別、四歳より後深草天皇の宮廷で育つ。十四歳から、後深草院に上臈女房として出仕、併せて院の寵愛を受けることとなる。三十二歳の時、出家のうえ諸国行脚の旅に出る(先人西行に倣った旅と跋文に記す)。

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