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2019-04

院、作者の行跡を疑う


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さて、夜も明けて人目に立つほどになりましたので、涙は袖に残し、
御所さまの面影はそっくりそのまま心に残したままで、私は伏見の
御所を出ました。


それにしても、御所さまの私に対するお疑いは残念なことであった
と思わざるを得ません。


御所さまのお言葉に対してわたしは弁明申し上げたうえで、誓言致
したのでしたが、そのお疑いと申しますのは、このようなことでござ
いました。

  ライン

鹿の鳴く声、 鐘の音

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そうは思えどもやはり、言葉にすべきではないので、ただ、御所さま
のお言葉を伺っておりますと、音羽山から鹿の声が涙をさそうよう
に悲しげに聞こえてきました。



即成就院の暁の鐘が明けゆく空を知らせるかのように聞こえるなか
で、私が、やはり口にはしないで心の中でつぶやいた歌は、

  鹿のねに またうち添へて 鐘のおとの 涙こととふ 暁の空
  (鹿の声にまた打ち添えて鳴る鐘の音が、涙の訳を尋ねる
   かのように聞こえてくる暁の空よ。)
 
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慰め のお言葉

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御所さまは、
「この憂き世の中に住む限りは、やはり憂え嘆くことばかりが多い
ものだ。なのに御前はどうして私にそうだと伝えることもなく、これ
までの月日を過ごしてきたのか」

などとおっしゃってくださいました。



けれども、私はただただ心に思うことばかりで、そのお言葉にお答
えすることはいたしませんでした。



そして、御所さまがおっしゃるのを伺いながら、私はこのようにもひ
とり思ったものです。

(こうして世を渡り、いたずらに生きながらえているという恨みの他は
何を愁えることなどありましょうや。この嘆きや思いは、御所さま以外
の誰に訴えて慰めていただけるだろうか)

と。

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出家のお姿である御所さまとお逢いする

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隈なく照らし出す月の光に、御所さまのお姿が以前とはうって変わ
られた面影として映しだされました。昔とは違う出家のお姿である
からでもありましょうか。


私がまだ幼くて明け暮れ御所さまのお膝もとに過ごしておりました
昔から、もう二人の間はおしまいだと思いあきらめて御所を退出し
た時のことまで、

数々の思い出話を承るにつけても、自分自身の昔のことでありな
がら、実に感慨深いお話を伺ったものです。


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宇治川の湊のように 寄せくる涙

  
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袖の湊に寄る」と詠われるあの 「うし(宇治)川」 の川波までが
まるで私の袖の湊に寄せくるかのように、「うし(憂し)」の涙を
溢れさせます。


また、「月ばかりこそよると見えしか(月の明るい浦に、波ばかり
が暗く寄せてくると見えたことだ)」という古歌までを思い続けて
おりますと、

初夜の時刻(午後八時ごろ)を過ぎるころになって、御所さまが
お出ましになりました。

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[註]

袖の湊に寄る

思ほえず 袖にみなとの さわぐかな もろこし船の よりしばかりに
                  (『伊勢物語』二十六段/『新古今集』恋五)
(思いがけず立ち寄ってくださったばかりに、袖にできた涙の湊
 が大騒ぎします。唐からの船が立ち寄ったかのように。)


月ばかりよると見えしか

有明の 月も明石の 浦風に 波ばかりこそ よると見えしか
                  (『金葉集』秋・平忠盛)
(有明の月も明るい明石の浦に吹く風に、波ばかりが暗く寄せ
 てくると見えたことだ。)


再びの 密会

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伏見の御所に御逗留の際には周囲も落ち着いた様子で、他の人に
知られる心配はない由を、御所さまがたびたび仰るということもござ
いました。

一度御所さまを思い申し上げてしまった私の心の弱みから、再び御
所さまからの仰せをお受けしたい気持がまさったのでしょうか、とうと
う私は人目を忍びつつ、下の御所のあたりまで参上してしまったので
した。



こちらに着きますと、御所さまのご意向を知らせにきた人が出てきまし
て、案内をします。私には、ことさらめいた気がしておかしくもございま
したけれど、

御所さまのお出ましをお待ちする間、九体の勾欄(こうらん)に出てあた
りを見渡しておりました。

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院(御所さま) からの打診

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さて、一昨年の二月ごろのことでしたが、思いがけなくも石清水八幡
宮にて御所さまと巡り会うという出来事がございました。

そのときの出逢いはこの世のほかまでもお忘れ申し上げることなど
到底あるまいとまで思われます。



あの後も御所さまは、縁ある人を通じてたびたびわたしの古い住所
などお尋ね下さるということもございました。けれど、それはやはり思
い立つべきことではございませんので、お志はしみじみと有り難く思
い申し上げながらも、お目にはかからずに月日を重ね、はや翌年の
九月のころにもなっておりました。

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ついに 熱田神宮で 宿願の写経供養を果たす

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熱田神宮では、造営工事が盛んに行われていて、ごたごたしては
いましたが、私の宿願である写経供養がそうそう延びるのも不本意
ですので、修法の場所なども用意したりして、

「華厳経(けごんきょう)」 の残り三十巻をここで書き終え奉納いたし
ました。


供養のための導師などは頼りない田舎法師なので、わけが分かって
いるとは思われませんが、十羅刹(じゅうらせつ) の法楽(ほうらく)で
すので、さまざまに供養いたしたあと、また京へ上ったのでした。

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外宮の神官度会常良 と 名残を惜しむ


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さまざまに思い続けて、いよいよ出発しようとする暁のまだ
夜深いころに、外宮の神主である常良(つねよし)のところか
ら手紙が届きました。



内宮にいた私へ届けるべき便りを忘れていたというので、

たちかへる 浪路(なみぢ)と聞けば 袖濡れて
                  よそになるみの 浦の名ぞ憂き

(あなたがお帰りになると聞けば名残惜しさに私の袖も涙に
 ぬれて、鳴海の浦という名のように遠くなってしまうのがつ
 らいことです。)

とあります。



これに返した歌は、

かねてより よそになるみの 契りなれど
                  かへる波には 濡るる袖かな

(もともとお別れして鳴海の浦に行かなければならない定め
 ではありますが、いざ帰る となると名残惜しくて、涙で袖
 が濡れることです。)

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伊勢の大湊から船にのる


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その日の暁のころ、出潮の船に乗るため宵から大湊という所へ
行って、そこにある粗末な漁師の小屋のそばで旅寝をしました。

「たとえ鵜のいる岩の間や、鯨の寄る礒であっても、思う人との
契りだけでもあったならば、つらいことなどはない」

と古い歌にも言い残されているというのに、私はいったいどうし
た身の行く末なのでしょう。


待っていても、再びつらい思いが慰められるわけでもなく、越え
て行く山の先にだれかと会える望みとてない身の上なのです。

  ライン


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プロフィール

雅忠女

Author:雅忠女
正嘉2年(1258)生まれ。父、村上源氏・久我雅忠〔中院大納言・正二位〕 母、四条大納言隆親の娘。
二歳で母と死別、四歳より後深草天皇の宮廷で育つ。十四歳から、後深草院に上臈女房として出仕、併せて院の寵愛を受けることとなる。三十二歳の時、出家のうえ諸国行脚の旅に出る(先人西行に倣った旅と跋文に記す)。

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