2017-03-23


       女西行 二条尼の旅路(巻四) はじめから読む


     
 <⑨ しみじみと逆境の憂き身を思う>

心に思うところがあったので、ここに七日間参籠して、熱田を出発する。


鳴海の潮干潟をはるばると行きながら熱田の社を振り返って見ると、霞の
間からほのかに見えている朱塗りの神垣が神々しい。

昔を懐かしく思い出しては流す涙はおさえ難くて、

神はなほ あはれをかけよ 御注連縄(みしめなわ) 引きたがえたる 憂きみなりとも

(熱田の神よ、いつまでも哀れみをお掛けください。たとえお社の注連縄を引き
 違えたように運命の違ってしまった逆境に沈むつらい身であったとしても。)

と、詠まれたことだ。



波:背景波:背景波:背景


2017-03-20

      女西行 二条尼の旅路(巻四) はじめから読む


          <⑧ 弥生桜夕月夜 >

都を出たのは二月の二十日過ぎのことであった。 が、なんといっても馴れ
ない旅路、心は先へ先へと はやるけれど、はかがゆかなくて、もう三月の
はじめになってしまった。

夕日がはなやかに照りだして、この月は、都の空でも同じように眺められて
いることだろうと思うと、都のことが思い出されてしかたない。 今さらながら
御所さまの面影が寄り添うような心地さえするのであった。


神垣(かんがき)の中の桜が、今日を盛りと咲きほこっている。そのようすを
見るにつけても、花は一体誰のために美しく咲いている梢なのだろうと思わ
れて、

春の色も やよひの空に なるみ潟 いま幾ほどか 花もすぎむら
(春景色も弥生の空となり、桜の花もあといく日で盛りが過ぎて散り、あとは
 ここも杉林ばかりとなるだろうか)

と思われたことだ。 この歌を札に書いて、社の前にある杉の木に打ち付け
させたのであった。


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2017-03-16


      女西行 二条尼の旅路 はじめから読む


   <⑦ 尾張の国 熱田社に詣でる >

尾張国の熱田神宮に参詣した。 そこで神垣(かみがき)を拝むやいなや
思い出されたのは、この尾張国が亡き父の知行国であったということだ。

生前、父はこの知行国へ、父自身の祈祷のためということで、五月のお
祭りには必ず神馬(じんめ)を奉納する使いを立てられていたのだった。


父の最期となった病気の折り、神馬を奉納された際に、正絹の衣を一領
添えて献上したところ、萱津(かやつ)の宿という所で、にわかにこの馬が
死んでしまったという。

驚いて、在庁官人の中から代わりになる馬を探して奉納したと聞いたが、
その時の父の祈願を、神はお受けにならなかったのだと思ったことまで、
数々思い出されたのだった。

あわれさも悲しさもやる方ない心地がして、このお社に今宵は参籠した。


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2017-03-14

     女西行 二条尼の旅路 はじめから読む

 
           <⑥ 三河の国 八橋 >

 三河の国、八橋という所に着いた。八橋といえば、『伊勢物語』にあるよう
な蜘蛛手(くもで)に流れる川があるのかと探し見まわしてみたが、なかった。

橋さえも見えなくて、友にも逢えないないような心地がして、

われはなほ くもでに物を 思へども その八橋は 跡だにもなし

(自分はやはり蜘蛛の手のようにあちこちへ流れる水のようにあれこれと物
を思っているけれど、「水行く川の蜘蛛手なれば」と『伊勢物語』に語られた
その八橋は、跡形すらありません。)




八橋・・・ 三河国の歌枕。現、愛知県知立市。

    『伊勢物語』九段
    「水行く河のくもでなれば、橋八つ渡せるによりてなむ、八橋といひける」
    とある。かきつばたの歌で有名。


らごろも つつなれにし ましあれば るばるきぬる びをしぞ思ふ


      ごろも 
          つつなれにし 
                 しあれば 
                      るばる来ぬる 
                              をしぞおもふ



2017-03-12


        女西行 二条尼の旅路 はじめから読む


      <⑤ 姉遊女 との 和歌贈答>

この姉の遊女の方が、杯を据えた小折敷(こおしき) に歌を書いて私の方へ
よこした。私が墨染めの衣をまとう出家姿のであるにもかかわらず涙がちな
ようすであるのを不審に思ったのであろう。その歌は、

思ひ立つ 心は何の いろぞとも 富士の煙の 末ぞゆかしき

(あなたが出家を思い立たれたお心は、どのようであったのか知りたい気が
いたします。 富士の煙が空に立ち上る先がどのようであるのかを知りたい
ように。)



遊女がこのように歌を詠みかけたとは、まことに意外であった。 また、風情
ある心地がして、私の方から姉の遊女へは、

富士のねは 恋をするがの 山なれば 思ひありとぞ 煙立つらん

(富士の峰は、その名も駿河の山なので、もの思いの火があって煙が立つ
のでしょう。 わたしが出家したのも、恋のもの思いのためですよ。)

と、返したのであった。


馴染んだところへの名残は、この遊女宿まで見捨てがたい気がしながらも、
そうばかりしていられないので、またそこを出立した。




                     富士山


プロフィール

雅忠女

Author:雅忠女
正嘉2年(1258)生まれ。父、村上源氏・久我雅忠〔中院大納言・正二位〕 母、四条大納言隆親の娘。
二歳で母と死別、四歳より後深草天皇の宮廷で育つ。十四歳から、後深草院に上臈女房として出仕、併せて院の寵愛を受けることとなる。三十二歳の時、出家のうえ諸国行脚の旅に出る(先人西行に倣った旅と跋文に記す)。

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